7.01.2013

アタマとハートは若い 「ダンシング・チャップリン」



7月か・・ 梅雨が明ければ1年で最も眩しい季節。 死ぬまでにあと何回の7月を迎えられるか、 それは思っているほど多くはないような気もする。

とまあシリアスなイントロで始めてしまい、 先月といい月初めはなぜか珍作に当たるが、 今月はこれ。 周防監督には1本筋の通ったものを感じて敬意を持っているが、 この作品に関して正直な感想はこちらの回答者に近い。 しかしながら、 さっと通り過ぎることができない何かがあったのも事実で、 ほとんど支離滅裂になることだろうが一応エントリーしとこう。

娘が小さいときに端役で出た舞台を見た程度で、 バレエについてはほとんど何もわからない。 一時期ピナ・バウシュや勅使河原三郎に凝ったこともあったが、 それくらいしか舞台芸術を知らない。 だからローラン・プティと言われても気難しそうなオッサンでしかないが、 周防監督が彼に映画化の交渉をするシーンで、 外で撮りたい、 と話すとプティ氏に、 舞台芸術だからそれはダメだ、 と一蹴される。 そのときのアチャーみたいな監督の顔。 これは自分なんかでも非常によくわかるシチュエーションだ^ ^

だからと言って監督は、 説得を試みたりしない。 いざとなりゃ勝手にやってやる、 ぐらいに思っていたのだろうか。 事実、 後半のバレエシーンでは鮮やかな緑を背景に堂々と外で撮っている。 しかし完成した作品をプティに見せに行くと、 もはやNG出しのレベルを超えて、 鬼の目に涙。 詳しい説明はないのだが、 わかったよ、 映画に関しては私にもわからない領域がある、 ということで認めたのだろうか。

そのプティ氏にインスピレーションを与えたチャプリン。 淀川長治さんが愛してやまなかったチャッ↑ (アクセント) プリンのことを、 ここしばらくは思い出すこともなかったが、 ああ、 チャプリンな、 と。 チャプリンを踊るのは舞台と同じくルイジ・ボニーノという人だが、 この人は前半のメイキングシーンで年齢を聞かれ、 恥ずかしがってストレートには答えない。 実際には60才なのだが、 一般の60才とはまったく違う若々しさで、 年齢を聞かれるのを嫌がる可愛さも含め、 こんな人がいるんだなあと思う。 日本人は女性に年齢を聞くのは失礼と心得ながら男には平気で聞くから、 見た目以上にいってる自分としてもボニーノさんの気持ちはよくわかる。 ボニーノさんは言う。ここ (アタマ) とここ (ハート) は若い、 あとはちょっと歳だけど・・

そのボニーノさんとタミーヨは英語でやりとりしながらダンスの練習をする。 ボニーノさんはイタリア人だし、 お互いネイティブでない同士のコミュニケーションというものも意外に有意義なことを思い出す。 非常に個人的なことで恐縮だが昔、 台北に1ヶ月ほど仕事で滞在したことがあって、 台湾の人々と英語で会話した。 こちらは中国語と言えばリンスンペールーとシャオチェーくらいしかわからないし、 しかも発音はテキトーなのでタクシーでは書いたほうが早い。 日本語がわかる人はそこそこいるのだが、 結局のところお互いネイティブでない英語によるコミュニケーションが近道だし、 双方にとって外国語だから恥ずかしさも少ない。

マクドナルドの発音は台湾人のほうが上手いことは確かだが^ ^ わからなかったのがデンシン。 電信? と思ったものの、 dancing のae発音がeに傾いたものだった。 要するにディスコ/クラブに誘われていたのだ。 しかしまあ、 そういうことを通してコミュニケーションのシンプリシティというか、 ミニマムで確実な話し方について考察できた。 ミニマムと言えばプティ氏の振り付けも思いのほかミニマムだった。

作品に関係のない回想ばかりになってしまった。 踊るチャプリン x 若い娘というコントラストが舞台のポイントだったらしいが、 ここでタミーヨを外したキャスティングをしようものなら血を見たかもしれない^ ^ いやそもそもタミーヨのための作品だったかもしれないので、 プティ氏を訪ねての監督のキツい思いこそがこの作品の本質なのかもしれない。 しかしあまりスノッブな方向や収まったところに行かずに、 またガツっとくるものを周防監督には期待したい。 本日、 以上。

ダンシング・チャップリン (2011日本) 公式サイト
監督 周防正行 
振付 ローラン・プティ 
ルイジ・ボニーノ 草刈民代 

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