5.23.2015

中庭の木 Ex Machina



監督は眠そうな目をして、このエヴァのデザインも自分で考えたそうだが、この山奥の研究施設が外から見たらボロい小屋なのに、地下には中庭を配した空間が広がっているなど、建築にも造形の深そうな人だ。AUTOMATAのように、人類は機械生命体を生み出すのが役割で、人類の進化形こそがAIだという微妙な屁理屈はなかなかいいし、面白い映画ではあった。

CGにはお金がかかってそうだが、その分キャストは節約され登場人物はほぼ4人、ロケーションもほとんどが山小屋内というワンシチュエーション・ドラマ。世界を覆う検索エンジンもAIを作る過程に過ぎなかったと語る男は、この施設にこもって、たった一人で、なぜか女性型ばかりバージョン9.6まで完成させたという家内工業的なニュアンスも少し笑える。ブルーボックス社の優秀なプログラマーだから選ばれたという青年も、実は彼女がいなくダマされやすそうだからという理由で選ばれており、エヴァの顔も実は青年がよく見ていたポルノサイトから収集されていたなど、いい感じでB級っぽさが露呈する。

もう一人、キョウコと呼ばれる謎の寿司職人が出てくる。プロフィールでは東京出身のバレエダンサーということらしいが、映画で披露するダンスはなぜか70年代風ディスコ・ステップ。CEOはこれだけの天才でありながら、毎日のように酒に酔いつぶれるわ、ちょっと来いと言ってポロックの絵の前で「もし画家が、これから自分が何を描こうとしているかわからないなら描けない者であれば、点すら描けない」という持論を説くわで、なるほどなあと思いつつ、なぜか笑いを誘うシーンに満ちている映画だ。もちろん、いい意味で。

青年がエヴァに、描きたいものを自分で選んで描いてくれと言うと、彼女は中庭の木を描く。生まれてこの方、部屋から出たことがないからだが、そのことがなぜか可愛いと思った。AIと言えど入力される情報が乏しいとアウトプットも子供っぽい。1000年以内に人類は滅亡するとホーキング博士は語ったそうだが、対象が人間か機械かを見定めてからでないと愛せない者は、何も愛せないということだろうか。愛にあふれた人類は、やはり次の進化のカタチであるものを生み出すためのステップなのかもしれない。乞うご期待。




エクス・マキナ Ex Machina (2015イギリス) 日本公開未定
脚本・監督 アレックス・ガーランド 
ドーナル・グリーソン オスカー・アイザック アリシア・ヴィキャンデル 
ソノヤ・ミズノ 

5.09.2015

問うな “GOD'S NOT DEAD”



続けざまに何かしら書きたくなった作品、アメリカの大学での実話をベースにしているとのこと。無神論者の哲学教授が単位を人質に、学生に「神は死んだ」と本人のサイン入りで書かせる。クリスチャンの学生が孤軍これに抵抗し、最終的には教授を論破する。改宗して家を追い出される女学生、ガンを宣告される人気ブロガーなどのエピソードが平行して散りばめられる。宗教臭い話は苦手で、ともすれば自分は教授派だと思っていたところ、見ているうちにこの教授が思いっきりウザくなり、最後はロックでミサをやるようなバンドで締めくくられてちょっと軽いなと思ったが、ヘンなすがすがしさが残った。

この教授は無神論に改宗せよと言っているに過ぎず、それは無神論という名の宗教とも言え、とくに信者集めをしようというわけでもなく、勝手に信じてくれればいいというクリスチャン側の態度に好感が持てたというところか。プロパガンダ映画でもないようだが、ロックでミサ、と同様のエンタテイメント性が上手く使われているのかもしれない。しかしながら宗教というコンセプトはさておき、信仰ということについて多少なりとも考察したくなるテンションのある作品だと言える。

去年、日本公開されてはいるものの、果たして客は入ったのか。IMDbではそこそこ書き込みも多く、レビューを見て気になるのはこの映画がoffensive(攻撃的)と評されていることだ。へえ、やはりそうなっちゃうのか、とは思うものの、新鮮さを感じる作品ではあった。しっかりNOTと否定しているのに邦題はなぜ問うのか。そこだけイラついた。


神は死んだのか GOD'S NOT DEAD (2014) 公式サイト
監督 ハロルド・クロンク 
シェーン・ハーパー ケヴィン・ソーボ デヴィッド・A・R・ホワイト 
ハディール・シトゥ コリー・オリバー トリシャ・ラガチェ ニュースボーイズ 

5.08.2015

苦いシロップ “SYRUP”



前回のエントリーから17本め、ようやく何か書いてみたい作品に出くわした。ポスターはロシア版がオシャレだったのでこれを使うが、原題はシロップ。炭酸飲料のマーケティングにまつわる、古く言うと広告代理店もの。ネーミングやイメージ戦略がすべて、それを取ってしまうとただのシロップと水というニュアンスの映画、日本未公開ながらこの邦題はもう触れたくもないセンスだな。テキトーなタイトリングという行為自体が映画のテーマに反してるとか高尚なことを言わないまでも、ようするに見てもいない人が付けてるんだろうな。商品を知らずに売るのは詐欺以下と言えるだろう。

どこがよかったかと聞かれても、なんかよかったとしか言えないたぐいの映画ではある。アンバー・ハードもキレイだし、シャイロー・フェルナンデスというあんちゃんもいい感じ、演出も上手いと言えそうだが、ネタは新しいとも言えないし、ラストもつまんないかもしれない。えー、じゃあどこが?ということなんだけど、どこなんだろ、わからない^ ^

フェルナンデス演じるスキャットという才能、およびバカさがいいんだろうな。自分にもあてはまると思っちゃうんだろうな。アンバー演じるシックスというキャラもいいし、ラフな出会いもいい。そんな二人は戯画化されたスピード感のなかでは逆にマイペースで素朴というところがいいのかもしれない。

けっきょく説明できず、でも面白かったしシビれる一瞬があったとだけは言えるし、映画ってそれで十分だろということを確認できる作品かもしれない。邦題とダサいパッケージには目をつぶってレンタルでもしてほしい。



マイ・デンジャラス・ビューティー SYRUP (2013) 日本未公開
監督 アラム・ラパポート 
原作 マックス・バリー 
アンバー・ハード シャイロー・フェルナンデス ケラン・ラッツ