3.22.2009
9月は夏ではない 「明日、君がいない」
無味乾燥な原題と情緒的な邦題の落差から、 なんとなく触手が伸びなかった作品だが、 けっきょく見た。 比較的 遅れて見たわけだが、 そうするとすでにたくさんの評がある。 概ね高評価で、 悪く言ってる人はほとんどいない。 ああ、 やめてくれ、 自分のなかの天の邪鬼が動き出す・・ というわけで別に怨みはないが、 この映画のダメな部分について書いておこうと思う。
監督は製作開始時、 19才。 友だちの自殺というパーソナルな体験をモチーフにしたわけだが、 自らも自殺未遂を経てこの作品を作りあげたとのこと。 半分は宣伝なので流すとしても、 辛い体験のわりに短い時間で、 冷静に分析し再構築できたものだなと思う。 意外に立ち直りが早いのかな。
それにしても死亡時刻をタイトルにし、 誰が死んだのかは最後まで明らかにしない謎解き形式などによくできたものだ。 こういう技で引っぱるのは、 サスペンス劇場だけで十分ではないか。 出てくる人たちは一見問題なさそうでいて、 実はそれぞれ悩みを抱えている。 しかしこういうプロットを取ると、 悩みの本質はどこかへ行ってしまう。 いたずらにスキャンダル・ショーに振っているというより、 言ってしまえば取るに足らないことだと自覚しているのかもしれない。 喉元過ぎれば他人事、 もはや何かを訴えたいほど現実味はなく、 あ〜あ、 やっちゃった、 死んじゃった。 そんなふうに語られている気がする。
笑ってしまうのは、 死んだ者のことが いちばん描けてないということ。 謎解きを重視するがために、 そうなってしまったのか。 そもそも大した理由じゃなかったのか。 しかし見てるほうとしては、 これでは はぐらかされた気分になる。
対照的に、 ラストの自分で自分を傷つけるシーンはやたら生々しく、 ホラー映画じゃないんだから誰もそこまで期待してないよって感じ^ ^
音楽や効果音の使い方も かなり念入りだが、 物理的な扇情効果という頭しかない。 つまり、 殺人シーンに甘いメロディーが流れるような音楽の使い方もあるのだということは、 まだ習ってなかった?
モノクロのインタビュー部分は、 自殺者が出たことに際して撮られたような設定なのに、 自殺者自身のテイクも存在するのはどういうこと? どうせなら登場人物の数だけ別エンディングを用意すればよかったのだ。
「エレファント」 に似ているということだが、 似ていると言うより完全に影響されたわけだ。 その証拠にメロディの兄貴が自分の書いた作文について言う。 "乱射事件を描いたわけじゃない" と。
影響を受けるのが悪いのではなく、 情報量の少なさがありありと見えるということ。 自分はハタチくらいの頃 音楽をかじっていたのだが、 そのとき、 自分が聴いているものがいかに狭い世界のリフレクションか、 ということを時おり感じていた。 好きな数人のアーティストにぞっこん惚れ込んでいれば満足で、 あとは耳に入らない。 だから出てくるのも そんな音で、 それでよし、だったのだ。 ようするに摂取する情報量が絶対的に少ない。 そういう若さを、 この監督にも感じる。 なのに若さだけで突っ走れないところも、 かつての自分を思い出すように底が知れてしまう。
最後にひとつ、 死亡時刻はタイトルの通りだが季節は9月。 オーストラリアで9月と言えば夏ではないだろう。 なのに、 なぜタンクトップのネエさんばかりが乱舞する?
明日、君がいない 2:37 (2007オーストラリア) 日本公開2008
監督 ムラーリ・K・タルリ
テレサ・パルマー
【 無料で見れないかチェック! 】
【 Amazonプライム・ビデオですぐ見る 】
0 コメント:
コメントを投稿