10.20.2013

「シュガーマン」 at 武道館



アパルトヘイトで揺れる70年代の南アフリカ共和国で、 エルヴィスよりも偉大だった男。 その名はロドリゲス… そのフラットすぎる名前のせいか (日本人で言えば、 鈴木か田中?) 本国アメリカではまったく売れず、 一部の者がディランより過激と語った程度でアルバムを2枚出すが、 もはや知る者もおらず。 しかし南アでは反アパルトヘイトのレジスタンスソングとして放送禁止曲に指定され、 それゆえに聴かれ、 人々を支える歌となっていた。

しかしこの事実をロドリゲス本人はまったく知らず、 レコード会社も関知せず、 あげくの果てにロドリゲスはステージで焼身自殺したなどという噂とともに時代は移り変わっていった。 のちに誰かが真実を探ろうとするまでは。

ロドリゲスの歌を聴いていると、 歌詞の先鋭さとあいまって何となく井上陽水が連想されたが、 それは声質とサングラスのせいにすぎないかもしれない。 非常に不思議な、 圧倒されるエピソードだが純然たるドキュメンタリー。 しかし考えてみれば以前は、 日本でだけ人気のあったバンドが少なからずいたし、 日本でだけヒットした洋画というものも存在した。 しかし当事者が知らないことはまずなかっただろうし、 駆け出しのバンドへの地球の端っこの国からのよくわからない支持も、 彼らの活動を少なからず支え、 その後 本国での認知やヒットにつながる糧ともなった。 映画の場合はそうプロセスはないだろうが、 局地的な収益には貢献?

こういう独自のローカライズは、 今なぜ起きないのか考えてみる。 日本を考えると、 まず洋楽が聴かれなくなったことが挙げられる。 洋画については配給会社が独自の買い付けを放棄し、 海外でのヒットを前提にした世界 '最遅' 公開戦略という逆ガラパゴスに逃げ込んだせいだろう。 全世界を見るとまだ以前のような特殊なローカルマーケットが存在するのかもしれないが、 インターネットが世界を狭くした分だけ、 認識のギャップがあるがゆえに衝撃もあるという、 言わば "幸福な誤解" のケースは減ってきているように思える。

そのことはさておいてロドリゲスに戻ると、 歌は売れずとも労働者として娘を育て、 けっこうな歳になっても服装はどこかアーティストっぽく、 シャイで謙虚で無邪気に笑う素敵なオッサンだった。 奇跡に愛された、 なんてのは正反対で、 運命に弄ばれた男というべきだろう。 だが男の脳裏には、 もしあのとき・・ などとの一抹の仮定すら存在しない。 仮定によっては、 ここにいる娘たちも存在せず、 自分の歌を聴きに集まってくれた目の前の人々も存在しないからだ。 見て驚き、 聴いて驚き、 いろいろ考えられる作品だ。 そしてなぜかアメリカ映画でも南ア映画でもないのだな・・

シュガーマン 奇跡に愛された男 (2012スウェーデン・イギリス)
SEARCHING FOR SUGAR MAN  日本公開2013.3月 公式サイト
監督 マイク・ベンジェルール 

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